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Sword of A's Act.3
高町なのはは学校から帰った後、夕飯を終えて机の前で教科書を開いていた。
学校の課題を消化するために、まるでリズムのように、一定のペースで動くペン。
その他の音は、こちこちと響く置時計の音だけだ。
静かな空間。その中での集中力は、ここ最近の『ちょっとした事件』の為にとみに磨きの掛かった物になっており、その状態を2時間、3時間でも維持する事が出来るようになっているのは本人も気付かない才能の一つであろう。
間もなく10時。その時になってようやくペンが打つリズムが止まる。同時にふう、と可愛らしい吐息が彼女の口から漏れた。
教科書とノートを鞄にしまう最中、ふと今朝の出来事を思い出した。
「そう言えば……今日会った士郎さん、訓練の事本当に気づいてなかったのかな?」
それは誰かに話しかけるのではなく独り言のように呟いた言葉。しかし、その言葉に反応が返ってくるとは誰が予想できるだろうか。
<<Don't worry my master. He doesn't seem to notice it.(心配要りませんよ。マスター。私が見た限り、彼が気付いた様子はありません。)>>
硬質な人工音声。それは、机に置かれた赤い宝石からハッキリと発せられていた。
その言葉に、当然のようになのはは頷き……しかし疑問の顔は完全に晴れない。
「確かに士郎さんの態度からは気付いていているような感じはしなかった……でも……」
<<What the matter is? (何か気になる事でも?)>>
「うん。なんて言うのかな……士郎さん何か隠してる事があるみたいだったし、それに……」
隠し事についてはお互い様ではあるし、今日出会ったばかりの自分に明け透けに話すことも無いだろうが……話の最中に士郎の瞳を覗き込んで感じた事は、なのはの胸を締め付けるのに十分な力を持っていた。
彼女はそれと同じ瞳を持っていた人物を知っている。
金髪黒衣の魔導師。ここ最近までのライバルであり、今は再会を心待ちにする一人の少女。
母親に愛されたかった。そして、終ぞその夢は叶わなかった少女。
信念の鎧を纏い、他者からの言葉を拒絶し、たった一つの目的のためだけに走り続けた……少女。
窓の外を見る。
海鳴に観光に来たと語った自分の父と同じ名前を持った、自分よりも幾つか上の歳の少年。
その顔は笑っているのに、どこか泣いている様に見えた少年は、この空の下に何を想い、そしてどうしている事だろうか。
(勝手な想像かもしれない。だけど……)
無論、ここまでの事はなのはの推測であり確証があるわけではない。
ただ、願わくは。
その悲しみに濡れた瞳がいつか晴れる事を、想わずにはいられなかった。
12月2日 PM 16:10 海鳴市某公園
疲れた体を引きずりながら公園のベンチに腰掛ける。
取りあえず日が傾いてきた所で、あまり注目を集めないと言う意味でそこら辺の洋服屋で見繕った革ジャンを『投影』し着込んでおいたので、今の所寒さはそれほど感じなかった。
ちなみに何故『買う』のではないかと言うと、単純に文無しだったのだという実も蓋も無い理由からだが。まあ、もし有ったとしても『ディナール』などと言う、日本人の普段の耳に付かないような通貨単位を身分証も何も無い身で換金出来るかどうかは微妙な所だった。
「はあ……まあ、何と言うか……」
吸った息が冷たく吐く息は白く……とまではまださすがに行かないが、途方に暮れるには絶好のシチュエーションである事は間違いない。
あの後、なのはとの世間話で(どこかそわそわしながら、まるで自分の表情を伺う様な視線が気になったが)この『海鳴市』の大体の地理を把握した自分が最初に目指したのは、図書館だった。
その目的は現在位置の確認とここから冬木市までの距離の確認。
三十分ほど調べた結果は自分を安堵させるどころか逆に焦燥させる事になったが。
(冬木の街が存在しない……か。)
心のどこかで確信があったのだろう。その事実に直面した時ショックの方がそれほどでもなかったのが、唯一の救いだった。
街の市立図書館に、たまたま冬木に関する資料が無かったという可能性も低いながら考えられるが、だとしてもこれ以上調べるべき手立ては何も無かった。
(文無しだから電話も無理だし、まさかここから歩いて行く訳にも……いかないよな)
これが海外ならば、強行軍で国境越えを果たす事も一度や二度では無く、野宿などで仮眠を取って野生動物を狩って暮らした事もある。
が、現代日本でそのスキルを生かすには如何せん、世間体と言う冷たい目が自分の前に壁として立ち塞がっているのを、どうにかしなくてはならなかった。
その壁を超えたとしても、もし冬木が事実上存在しなければ、そこでまた手詰まりになってしまう。
(やはり……ここは俺がいた世界とは違う……)
平行世界。
その単語が、知らず知らずに浮かんでくる。それは自分の世界で言えば魔法を駆使しなければ行けない……ともすれば宇宙へ行くよりも難しい奇跡。
自分が知る中でその奇跡を体現できる、または体現できそうな人物は二人。
だが、一人は自分の正確な居場所など分からないだろうし(自分が元で迷惑を掛けないよう明確には伝えないようにもしている)もう一人はたった一度出会っただけだ。それだけでほいほい力を貸してくれる人物でない事も理解している。
そこまで考え……結局、結論が出ない事を悟ってその思考を打ち切る。
(兎に角、別の世界にしろ、そうでないにしろ……問題はこれからどうするべきかだよな……)
あの後様々な場所をめぐり、海鳴の街の半分程度を探索した後、とっぷりと暮れた日を背に一時の宿を求めたのが午後七時頃の事。
色々と考慮したものの結局は、街のどこにいても誰かに迷惑を掛けるか、浮浪者のような目つきで見られるかのどちらかだと感じ、最初に目覚めた桜台の広場で一夜を明かす事にした。
しかしこれがなかなかに大変で、やたらと凶暴な猫達が縄張りを張っていてそれに襲われたり、どこかから〆切前の漫画家の断末魔のような絶叫が聞こえ、ビックリして跳ね起きたり、背中に突然の悪寒を受け暫く寝ずに原因を探っていたりと……非常に寝にくい夜を過ごした後、気が付けば日はとっくに昇りきっていた。
誓って、あそこでの野宿はしたくない。さらに言えばどうにかして自分が元いた居場所に帰りたい。
それがどれ程の困難、苦悩を伴おうとも、自分が生きた『世界』に帰りたいと言うのが自分の望みだった。それを自覚したと同時に覚悟も決まる。
ここに送り込んだ者が何者で何のためにそんな事をしたのか、未だ解けない疑問もある。
ただ、分からない事はいつまで悩んでも分からないものであると割り切り、前向きに、帰る方法……そんなものがあるのならばの話だが……を探す。それが今の衛宮士郎の目的だった。
決意すると同時に今後の方針を目まぐるしく考える。
もしここでしばらくやって行くのならば、確固とした生活基盤が必要である。
具体的には衣食住。いつまでも野宿では人前に出られない格好になってしまう。その為にも何とかして先立つものを手に入れなければ、この先の道程も暗い。
身分証の無い、どころか、自分の戸籍すら有るか怪しいこの状態ではバイトなども制約が出るだろう。厳しい現実だがそれでも何とかするしかない。
まぁ、差し当たって今の問題は……食事。
無論、過去の実績から二日三日食事を抜いた事もあるが、さすがに腹に入れるものが水だけでは体の代謝に障害が出るし筋肉も落ちる。『腹が減っては……』の格言を持ち出すまでも無く、いざと言うときの行動に支障が出るのは明白だ。
(……取りあえずバイト先の選定か……図書館でまた調べて見るかな……)
ダメで元々である。バイト情報誌をひたすら探すのも良いが、まさか本屋の立ち読みでという訳にもいかないし、見つけても肝心の電話が掛けられないので余り意味がない。
ならば黄色い電話帳を元に、募集していそうな場所へ飛び込みで行く事の方が、よほど建設的に思えた。
実際はどちらも大差ないものではあったが、わざわざバイト情報誌を探す事よりも一度行った図書館で探す方がましだと、その時は思えた。
(って待てよ……写真と履歴書、どうしよう……)
経歴はこの際偽装するしかないが、写真と履歴書はそうも行かない。飛び込みでも履歴書くらい無くては、流石に受かるとも思えない。
(何て……因果……うっかりと金欠は遠坂の専売特許だっていうのに……)
本人が聞いたら激怒して平気でこの場所までぶん殴りに来そうな事を平然と考え……それを無理やりに追い払うごとく、ぶんぶんと二、三回首を振る。
まぁ、その問題もおいおい解決しようと納得付ける……今のところ何も思い浮かばないがそれはそれとして。
やおら立ち上がるとそのまま、図書館の方角へ向かい歩き出す。
木枯らしが自分の寂しさを表現するかのように枯れ葉を道連れに吹き抜けて行ったのは、何かの偶然だと思いたかった。
風芽丘図書館。
市立図書館としては結構な広さを誇るその場所は、それに比例する様に蔵書量も中々のものだった。
取りあえず、海鳴の黄色い電話帳が置いてあるフロアへと本の森の中を進んで行く。
(確かこっちの方に……ん?)
ざっ……と視線を走らせたその先、二人組みの少女がいる事に気付き足を止める。
二人とも小学生くらいだろうか。一人は腰まで伸びた髪に、白いカチューシャがとても映える少女。
もう一人は栗色のショートボブに白いセーターを羽織り、車椅子に乗った、小柄な体がさらに小柄に見える少女だった。
車椅子の少女の方は恐らく近くにあった病院に通院する患者なのか、車椅子の背に、薬が入っていると思しき白い袋が見える。
仲の良い友達なのだろう。その会話は華やいでいて笑顔が絶えない。
(なのはちゃんと同じくらいかな? 病院の付き添――――っ!)
何気ない日常に頬が緩み掛けたその瞬間、弾かれたように走り出す。
「危ない!」
『え……?』
図書館では静かに、という常識を破る行動に一瞬周りの視線を集めるが、気にしている場合ではない。
彼女たちの頭上、二人の少女のうち車椅子に座る娘に向けて、無理して詰め込んだのだろう、歪に並んだ大小まちまちの本が今にも落下しようとしていた。
図書館利用者と司書のモラルを疑う光景だが、それどころではない。
(くそっ! 間に合わない!)
このまま彼女の元に走ったとしても、落下する本を全て受け止める事は不可能だ。
(なら――――!)
ようやく気付いたように頭上を見上げる少女に躊躇は一瞬も無かった。
「――――同調、開始(トレース・オン)」
魔術に至る行程をすっ飛ばし両足を強化、その瞬間、一時的にトップアスリート顔負けの瞬発力を得る。
少女の元まで一瞬で駆け寄った後、驚きに硬直する少女を抱えあげる。その際落下した本から守るように体を被せ、少女を抱えて跳躍。
が、ここにきて無理をして強化魔術を使った反動か、足の筋肉が引きつったように痙攣する。そして、一瞬とは言えそちらに気を取られたせいで着地点を外してしまう。まずい、と思った時には体が反応していた。
抱えた少女の体を大きく入れ替えるようにぐるりと反転し、床に向けて背中からぶつかるように体制を調節。かなり手荒だが、未熟な自分ではこれ以上良い方法も浮かばなかった。
衝撃。
強化魔術を咄嗟に体に浸透させたとはいえ、不完全なそれでは衝撃を殺し切れず一瞬息が詰まる。その際に少女がどうなったかのかすら確かめる術は無かった。
少女を抱えて飛んだ後に遅れて、本と金属がぶつかる音が連続して響き、止まっていた時間がようやく動き出す。
「っ! 最後だけミスったな……ごめん、大丈夫かい?」
「……え」
自分がどういう状態かを理解していないのだろう、惚けた様に返事をする少女に、受けた衝撃をおくびにも出さず話しかける。視界が回復していないので、彼女がどのような表情をしているかは確かめようが無かったが。
「は、はい。特に今、痛い所は……」
「ああ。それは良かっ……た……?」
その時、ようやく回復した視界に、ここにいないはずの人物の姿を見て言葉を失う。
「遠……坂……?」
「え?」
だがそれも幻。
一瞬後には、きょとんとした顔の小柄な少女を視界に納め……取りあえず照れ隠しから一言だけ声を掛ける事にする。
「いや、ごめん。何でもない」
こほん、とわざとらしく咳払いをするそのそばで、それまで呆然としていたもう一人の少女が鋭く反応した。
「は、はやてちゃん! 大丈夫!」
「あ……」
友人のその言葉で、ようやく自分の状態に気がついたらしい少女がそちらを見た。現在の状態はちょうど、床に背中を付けた状態で少女を両手で抱き抱えており、問題無く自分をクッション代わりにできたことに心から安堵する。
「立て……ないんだよな。ならちょっとごめん」
「え? え? きゃ!」
少女が何かしらの反応をする前に、そのままの状態から細心の注意を払い、足のバネを利かせた反動でひょいっと立ち上がる。
言うのは簡単だが、足腰を一定以上に鍛えていなければ腕の中の少女を取り落としてしまう可能性のある危険な行為である。
地面に手が付けられない状態では支えにするものも無かったのでこの方法を取ったが、今回はたまたま問題が無かっただけで、二度目はしたいとは思わなかった。
自分が見ず知らずの男に抱き抱えられていると知ったはやてと呼ばれた少女が、顔を真っ赤にしながら、慌てて言い繕う様が視界に写った。
「や、あああのそこまでせんでええですよ。そんな、お姫様抱っこて……」
「いや、流石に女の子を地べたに座らせるなんて出来ないよ。痛くは無いって言ってたけど、どこか捻ってたら大事だし」
取りあえず腰掛けられる場所か、本を被った車椅子をどうにかするまでは抱えておいた方が良い。
そう伝えると、少女は顔を真っ赤にしながらコクリ、とだけ頷いた。その事に、安堵と共に恥ずかしい思いをさせた申し訳無さを感じ、なるべく早めに降ろそうと辺りを見回す。
周りはやじ馬と駆け付けた職員たちでちょっとした騒ぎになっていた。その中から目的の影を見つけ、きょろきょろする姿に向けて声をかける。
「えーとそう言う訳で、取りあえず近くの座れる場所に運ぼうと思うんだが……」
「あ、は、はい! こっちへ……」
その後、周りの職員たちからの謝罪と自分や少女の無事を心配する声が矢継ぎ早に掛けられ、それに対応する事暫く。
やっとの事でお互いが自己紹介できたのは、騒動から十五分程度が経過してからだった。
「……よし、OK。特に支障が出てる場所は無いみたいだな」
「わぁ、ありがとうございます」
簡単な自己紹介の後判明したのが、ロングヘアーのカチューシャの娘が月村すずか、栗色のショートボブの娘が友人である八神はやて、との事だった。
取りあえず、はやてを手近な椅子に座らせた後に、車椅子の具合をざっと走査した。
結果は良好。最新式のレバー操作のタイプだったのでどうかとも思ったが……特に問題は無いようだった。
「でも士郎さんすごいですね。はやてちゃんを助けただけじゃなくて、機械の面倒まで見られるなんて」
「ほんまやわ。士郎さん日曜大工とか得意なタイプなん?」
素直な称賛。それにこそばゆいものを感じるのは、すれていない純粋さ故か。
「いや、昔からこういう『物を直す』事が得意だっただけさ」
それもハードに限り、ソフトについてはちんぷんかんぷんだがと語る。二人の少女は、それに対し興味深げに頷いていた。
「それでもすごいわ。さっき私を抱き抱えた時も最初、ジェットコースターか何かに乗ってるような気分やったもん」
咄嗟の事とは言え、一般人の前で魔術を使ってしまいあの動きにさほど疑問……どころか逆に賞賛されてしまっているのは、単に運良く人の目が少なかったということと、少女たちが士郎の動きにさほど疑問を抱けるような年齢では無かったからに過ぎないのだろう。
見る人が見れば一発で魔術師と察知されていただろう事に、凛にさんざん説教された事を思い出し、苦笑を浮かべる。
「あー、何て言うかその……すまない。咄嗟の事で考えてる暇が無かった」
心からの謝罪を言葉に出すと、はやてはくすっと笑いながら、自分の言葉をやんわりと否定した。
「別に謝らんでええよ。あの時あれしか方法無かったんやろ?」
「や……でもいきなり見ず知らずの男に抱き抱えられて、嫌な思いとか……」
「なんや、士郎さん私に何か変な事する気だったん?」
「んな――――っ!」
いきなりなトンデモ発言に大声を上げそうになり、辛うじて口を塞ぐ。その様をいたずらっぽい瞳で見ながらくすくすと笑う少女達。明らかに面白がっていた。
(何というか……冬木でもイギリスでも、女性にからかわれる事多くないか? 俺。具体的にはあくまとかあくまとかあくまとか……)
流石に少々憮然とした気持ちでむっつりとした表情を作る自分に、笑いを治めたはやてがまるで子供をあやす母親の様な表情で自分を見つめる。何というか、自尊心を激しく傷付ける光景だった。
「ごめんごめん。せやけど士郎さんも驚き過ぎや。そんな風に驚かれたら、本当に怪しい事したいんか思うてまうよ?」
「そうですよー士郎さん。それに、あんまり謝るのも女の子に失礼ですよ?」
清楚で大人しい印象があったすずかにまでそんな事を言われ……自分は相当、からかい易い男に見えているのだろうか? と自問自答に陥る。
それから、はやてを元の通りそっ……と車椅子に乗せしばらく歓談していると、はやてが一言断りを入れて、携帯を手に取った。家族からの電話だろう。
それを確認した後、潮時かと立ち上がる。
「じゃあ俺は行くよ。はやてちゃんにもよろしく言っておいて」
「え、もう行かれるんですか?」
少々残念そうなすずかの表情に後ろ髪引かれるが、当初の目的を果たしていない状態でいつまでも話し込んでいる訳にはいかなかった。
「ごめん、用事があるんだ。また今度会えたら会おう」
「あ……はい」
すずかの頭をやさしく撫でると踵を返し、備え付けの時計を確認する。
図書館が閉まるまで30分程しか猶予は無い。
ここでバイト先を選定しなければ、最悪また明日も野宿になってしまう。それを避けるためにも若干早歩きで、目的の書架の元へ向かって歩いていった。
「あれ、士郎さん行ってしもうたん?」
「うん……用事があるんだって」
夕焼けの西日指す図書館。電話を終えたはやてにゆっくりと頷くすずか。それを見てはやても残念そうに士郎の去ったであろう方向を眺めた。
「……もうちょっとお話ししたかったんやけどなぁ。シャマルやシグナムにも紹介したかったし……」
「えっと、シャマルさんにシグナムさん?」
「ああ、一緒に住んでるウチの親戚やよ。今一緒にこっちに来る言うてたから、すずかちゃんにも紹介したるな」
「……うん。楽しみにしてる」
上機嫌なはやてを見てすずかも嬉しそうに微笑む。
士郎自身は、二人の事を長年の友人と見ていたが、彼女達もほんの少し前に出会い、意気投合したに過ぎなかった。 きっかけは、届かない位置にある本を取ろうとしていたはやてにすずかが手を貸した事。
同い年と言う事もあり、すぐに打ち解けて話に華が咲いた。
先ほどのごたごたは、ゆっくり話せるスペースに移動しようとした直後のハプニングだったが、それを含めて、彼女達の距離は今日一日でとても近くなったと言えるだろう。誰とでも仲良くなれるのはこの年頃の子供達の特権でもある。
「士郎さん……か」
そんなはやてが難しい顔をして黙り込んだ事に、すずかは気付いた。
「? どうしたの? はやてちゃん」
「うん……士郎さんの事なんやけど、前に何処かで会った気がしてなぁ」
「え?」
はやての言葉に、すずかは驚いた顔をする。
「でも、士郎さん初対面みたいだったよ」
「私も初めて会うたはずなんやけど……あの笑顔を最近、何処かで見た気がするんよ」
言われてすずかは、士郎の顔を思い浮かべる。
第一印象は年上の面倒見の良いお兄さん、といったもので、何となく姉の恋人に少し似た印象を受けた。
上手く言えないが……それに何か引っ掛かるものはすずかも感じていたが、それは今のはやての悩みとは違う種類のものなので声に出すのは控えていた。
「ひょっとして前にもどこかで見かけたんじゃないのかな? 通りすがりの士郎さんが同じように人助けをしてたとか」
衛宮士郎という人となりを詳しく知っているわけでは無いすずかだが、不思議と彼は他人が困っているのを見過ごす事が出来ないのではないか、という事を直感的に感じていた。
そうでなければ、はやてを助けた後あんなにうれしそうに笑うはずも無いだろう。
そう……自分も怪我をしていたかもしれないのに(士郎が叩き付けられた事に、すずかもはやてもかなり心配したが、本人には『ああ、俺は特に問題ないよ』と言う一言で片付けられた)『自分よりも、他人の無事がうれしい』と、何の偽りも無く純粋に喜んでいる笑顔を浮かべるはずなど。
「うーん、そうなんかなぁ……」
すずかに言われながら首をかしげるはやて。
眉を寄せたその表情にも、言葉として上手く表現できないもどかしさが垣間見えるように思えた。
「……ま、ええわ。今度士郎さんに会える事が出来れば、その時改めて聞いてみるから」
と、はやてはまるで覗き込む様にすずかの顔を見つめる。見つめられた方は、若干気圧されながら おずおずと言葉を紡いだ。
「ど、どうしたの?」
「あんな、すずかちゃん……」
その言葉の後ににやり、と意地の悪い笑みを浮かべてはやては続けた。
「今日の事、今来る二人には内緒にしておいて欲しいんや」
「え?」
意外な申し出に、すずかはきょとんとした顔ではやてを見返した。当のはやてはいたずらを考える子供そのものの表情で続ける。
「シャマルもシグナムも心配性でな。こんな事におうた言うて、無駄に心配かけたくないんや」
「え、でも士郎さんを紹介するって……」
「うーん、シャマルは兎も角シグナムにありのままを話したら、問答無用で士郎さん斬り殺しに行きそうやから」
「あ、あはは……」
その言葉に、すずかは苦笑するしかない。
この日本で実際にそのような凶行を実行するとは思えないため、はやては例えで言っているのだろう……多分。
まだ会った事のないシグナムと言う人物像に疑問を抱くすずかに、気付いているのかいないのか……やがてはやては人差し指を口に付け、ぱちっとウィンクをした。
「せやから……これは二人だけの秘密や」
「ふふ……うん」
こうして、シャマルとシグナムがやって来るまで二人のやり取りは続いた。
12月2日 PM 7:45 海鳴市 市街地
海鳴の名に相応しく、香る風には若干の潮が混じっている。
風の流れがそよぐ街並み。眼下には、人の造った灯りが幻想的な冬の景色を夜の闇に映し出していた。
だが、その光景に感慨を漏らす声を出す人物はこの場にはいない。
ゆっくりとそよぐ風を感じながら、一人の少女が瞑想するように瞳を閉じ、じっ……と何かを探るように神経を研ぎ澄ましていた。
赤い帽子に、三つ編みにした同色の赤い髪。帽子にはウサギのような生物の顔が左右に二個付いている。
ドールドレスのような赤い服は風に揺れ、それだけを見れば精巧なアンティークドールを想像できるだろう。ただ、左の脇に抱えたタイトルの無い奇妙な本と、右手に持つ無骨なハンマーさえ無ければの話だが。
傍から見られる者がいれば、それは冗談以外の何物でも無かった。それこそ高度何キロという単位の上空に人がいることなど、誰が想像できようか。
「どうだヴィータ、見つかりそうか?」
じっと黙り込む少女の隣から唐突に声がした。
見事な灰色の毛並みと白い鬣を持つ、狼のような大型の肉食獣。それがハッキリと声を発した事に、少女……ヴィータは驚くでもなく当然のように受け入れ、振り返らずに呟く。
「いるような……いないような……」
やがて集中を解除し目を見開いたヴィータは、手に持ったハンマーをひゅっ……と肩に担ぎ、眼下の海鳴の街を見つめた。
「こないだっから時々出てくる妙に巨大な魔力反応……あいつが捕まれば、一気に二十ページくらい行きそうなんだけどな……」
その言葉を聞いた狼は、一瞬考え込むように黙り込み……次の瞬間にはヴィータに背を向けていた。
「分かれて探そう。闇の書は預ける」
そっけないが、仲間としての信頼に満ちた言葉。それを聞きながらヴィータは、心の中だけで不適に笑った。
「オッケー、ザフィーラ。あんたもしっかり探してよ」
「心得ている」
その一言と共に、ザフィーラと呼ばれた狼が空中を駆け出そうとし……その足が一歩目を踏んだ所で、ぴたりと止まった。
「ん……?」
「どうしたんだよ?」
タイミングを逸したかのように立ち止まるザフィーラを、ヴィータは不審そうな表情で見つめる。その中、ザフィーラが先ほどまで背を向けていた街の方角へと向き直り……その顔に滅多に見せない困惑の表情が浮かんでいる事に、ヴィータは軽く眉を潜めた。
「いや……我にも何故かは分からんのだが、嫌な予感がしたのだ」
「はあ?」
唐突に理解不能な言葉を発するザフィーラに、呆れ顔を浮かべるヴィータ。それに構わず、ザフィーラが一つ、また一つと頷き……やがて確信したように口を開いた。
「ヴィータ、覚えているか? 三日ほど前に感じた魔力反応を」
「? あの日夜中に一瞬だけ感じたやつか?」
「ああ」
その言葉にヴィータはその出来事を思い出す。
その日も昼間の蒐集を終え、夜に備えはやての家で英気を養っていた……その直後の事だった。
一瞬、とんでもない規模の魔力反応が海鳴市のどこかから発せられ……しかしそれを知覚したと同時、一瞬で沈下したのだ。
守護騎士四人が同時に感じていたが、その後に辛うじて分かった事と言えば、自分たちが時折感じ今も探そうとしていた魔力とは違う種類のものである、程度の事で、正確にどこから何の目的で発せられたのかは全く分からずじまいだった。
取りあえず四人の結論としては『特別な接触などが無い限りは、断続的に海鳴で感じる魔力の探索の方を優先する』という無難なものに纏まり、その日はそれ以上話題に上がらなかったはずだが……
「あれがどうかしたのかよ? あれから全く音沙汰もねえし、管理局の連中が本格的にここに踏み込んだ跡もねえんだろ?」
「確かにそうだ……だから我の杞憂、と言う事もありえる」
しかし、とザフィーラは続ける。
「あの魔力に近く遠い……何かしらの『意思』とも言うべき物をあの街の中から感じた……この様な事、長く闇の書と共に歩んでいて初めての事だ」
「なんだよそりゃあ……」
ザフィーラの言葉に胡乱げな顔を見せるヴィータ。話が抽象的過ぎてついていけていないのだろうとザフィーラは予測し、二、三度首を振った。
「いや……今の話は忘れてくれ。ただ気を付けろ。此度の蒐集、一筋縄ではいかない予感がする」
ザフィーラなりの気遣いだろう。ぶっきらぼうに聞こえながらその実、思慮深いこの守護獣の事を、ヴィータ以下ベルカの騎士達は、心強いパートナーとして今まで支えあってきた。
それが分かるからこそ、ヴィータは敢えて鼻で笑うような不敵な笑みを浮かべる。
「ふん……何が出てきたって、私とグラーフアイゼンを止める事なんてできない。もしその魔力の元が、私たちの元に出てきてくれるんなら逆に好都合だよ」
ひゅん、と手の中のハンマーを振り、まるで地に打ち付けるかのように足元で静止させる。
その様を、そして、そこに隠された心情を正確に感じ取り、ザフィーラは苦笑しながら再び背中を向ける。
「邪魔をして悪かった。くれぐれも気をつけろ」
「はん。そっちもな」
それだけを語り、ザフィーラは今度こそ風のように姿を消す。
後に残されたヴィータは一人、その執念に燃える瞳で街を睥睨し……そして、自分に言い聞かせるかのように呟く。
「そうさ……誰にも負けない。はやてと私たちの平穏を守るためにも、絶対に」
その言葉と共に、ヴィータの足元から、赤く輝く三角形と円形を使った、幾何学模様が浮かび上がる。そして、一つの言葉がゆっくりと静かに宣言された。
まるでこれからの戦いを宣言するかのように……静かに、そして厳かに。
「封鎖領域、展開」
だが彼女は知らない。
これから向かうその先に、史実とは違う結果がある事を。
一人のいる筈が無かった人間がその事象に干渉した事により発生する、歴史の歪みを。
図らずも、ザフィーラが言った言葉を肯定する事件が起こることなど、
その時の彼女には、知る由も無かった。
Act.3 END